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写経教室 in 伊豆国分寺

7月9日、第1回の写経教室を行いました。


伊豆国分寺様のご住職のご協力をいただき、共同で開催させていただきました。

ご住職のお話を伺い、簡単にやり方をうかがってご参加者の皆様と一緒に写経を行わせていただきました。

白檀のお香を焚かせていただき、塗香をつけて身を清め、無の状態で行う写経。

心の乱れが文字の乱れに出てしまったりいたしましたが、それでも、朝の静寂の中、いい時間を過ごすことができました。

最後には、書いたお経の意味についてご説明いただき、読経もさせていただき、すっきりした朝になりました。

次回は8/2㈮ 6:00~開催させていただきます。
9月からは第1・第3金曜日に継続的に行わせていただく予定になります。


8/2の詳細をfacebookページをお付けしますので、ご連絡ください。
https://www.facebook.com/events/677691382703881/

小林ご住職
佐藤社長

沖縄の特別な日に思いを馳せる

6/23は沖縄慰霊の日です。
沖縄県民にとっては忘れることのできない特別な日です。
第二次世界大戦中、日本国内で唯一、一般住民が地上戦を体験したその場所こそが沖縄なのです。
沖縄の命、文化財、自然を奪った戦争。

昭和20年6月23日の未明、沖縄防衛第32軍司令官 牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決したとされており、この日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目ととらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。

本土復帰前は、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、休日とされていましたが、1972年の本土復帰後は日本の法律が適用となり、休日としての法的根拠がなくなってしまいました。
が、1991年、地方自治法が改正され、沖縄県の県条例によって「慰霊の日」は休日と定められました。
毎年この日は、糸満市摩文仁の平和記念公園において、午前11時50分から沖縄県、沖縄県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、正午の黙とうなどにより、戦没者の御霊を慰めるとともに世界の恒久平和を願う沖縄県民の想いを世界に発信しています。

そして、毎年、沖縄県平和祈念資料館では『児童・生徒の平和のメッセージ』を公募し、追悼式では、その入賞作品の中から『平和の詩』として作品が朗読されます。
今年の朗読作品は糸満市立兼城小学校6年生の山内玲奈さんの作品「本当の幸せ」

私も含め、戦争を知らない世代は増えています。
もちろん、小学生である山内さんは、平成生まれ。
そして、新しい令和の時代がやってきました。
それでも、戦争の悲惨さや二度と繰り返してはいけないという想いを伝え継いでいくことの大切さを詩で語っている山内さん。
戦争を知る世代もそうでない世代も、沖縄県民もそうではない県民も、一人の日本の国民として、6/23日曜日は少しの時間でも『沖縄慰霊の日』に思いを馳せ、今の幸せを見つめなおす時間を持てたらいいと思います。

沖縄の特別な1日、『沖縄慰霊の日』は次の日曜日です。

現在の沖縄の海
沖縄の街

沖縄といえば
ハイビスカス

もうすぐ父の日

今年の父の日は6月16日。次の日曜日です。
父の日は毎年、6月の第3日曜日。
どうしてこの日になったのか?父の日が設けられた由来は何なのか?

世界各国で父の日があり、その日付や由来は様々です。
日本の父の日は、アメリカの父の日に由来しており、アメリカでの一つの出来事が父の日制定につながりました。

アメリカの父の日制定を願い、行動したのはジョン・ブルース・ドット婦人という方です。
彼女の父親は軍人で、南北戦争の戦地へ招集されました。
その間、彼女の母親は女手一つで6人の子供を働きながら育てていました。
1865年、南北戦争が終結し、父親が戻ってくると、母親は過労でなくなってしまったそうです。
母親が亡くなった後、父親は男で一つで6人の子供を育て上げ、子どもたち6人が成人した後、亡くなりました。
その6人兄弟の末っ子だったのが、ジョン・ブルース・ドット婦人。
自分の父親への感謝のしるしとして、その当時すでにあった母の日と同様、父親に感謝する日を作ろうと提唱し、1909年牧師協会に懇願しました。

翌年、1910年6月10日、父の日の最初の祝典が開催され、1916年には、アメリカ合衆国第28代大統領、ウッドロー・ウィルソンが演説を行い、『父の日』が広く知れ渡ることになったそうです。

1966年第36代大統領リンドン・ジョンソンが6月の第3日曜日を父の日に定め、1972年には国の記念日として制定されました。

ちなみに、なぜ6月かというと、ジョン・ブルース・ドット婦人の父親の誕生日が6月だったからだそうです。

【父の日の贈り物】
母の日の贈り物といえば、カーネーション。
母親が健在なら赤のカーネーション、亡くなっている場合は白のカーネーションが一般的ですが…父の日は?
父の日はバラを贈るといいようです。
ジョン・ブルース・ドット婦人が父の日に父親の墓前に白いバラを供えたことが由来しているようです。
父親が健在なら赤いバラ、亡くなっている場合は白いバラと母の日のカーネーションと同じ色分けがされていたりしますが、特に決まりはなく、日本では黄色いバラを贈る人が多いそうです。
 黄色は、イギリスにおいて『身を護るための色』とされ、アメリカに伝わってからは『愛する人の戦場での無事と帰還を願う黄色いリボン』となりました。
そのため、黄色は『命に関わる大切な色』・『愛と信頼と尊敬を表す色』として、世界各国へ広まっていきました。
日本でも、1981年に設立された『日本ファーザーズ・ディ委員会』が開催している『父の日黄色いリボンキャンペーン』のイメージカラーが黄色で、毎年『ベスト・ファーザーイエローリボン賞』が選ばれており、日本の父の日のイメージカラーは黄色となっています。

日ごろの感謝の気持ちを込めて、是非今週末はお父さんと一緒に過ごす時間を作ってみてはどうでしょうか?
最近、弊社にもお香を愛する男性の方がかなりお買い物におみえになります。
お父さんに癒しのひと時をプレゼントできるお香をプレゼントにしてはいかがでしょうか?お好みの香りを是非、探しに来てみてください。

いつも言えないお礼を…
黄色のバラは定番です

オリジナル縁でぃんぐノートのご紹介

特製縁でぃんぐノート。まだ種類が増えます。

弊社では、この度、特製のエンディングノートを企画製作いたしました。
あくまで、エンディング(終わり)ではなく、縁でぃんぐ(縁を繋げる)ノートとして、遺言書やエンディングノートを書くためだけではなく、『今を大切に』、思い出やこれから実現したい想いなどを書き、自由にアレンジできるものとなっています。

弊社オリジナル、『あなたオリジナル』の縁でぃんぐノートを作ってみませんか?

価格および販売時期については、また追ってご案内申し上げます。
弊社友の会、さとう倶楽部の会員様におきましては、会員様価格にてご案内させていただきますので、是非楽しみにお待ちくださいませ。

Sankei Biz様と朝日新聞デジタル様に取り上げていただきました。是非、こちらの記事もご覧ください。

Sankei Biz 様
http://www.sankeibiz.jp/…/ne…/190402/prl1904021102039-n1.htm

朝日新聞デジタル様
https://www.asahi.com/and_M/pressrelease/pre_1352770/

看板設置しました

こちらが看板です!

弊社社長佐藤のこだわりが詰まった看板が完成!
3/28㈭、設置致しました。

設置の日付にもこだわって設置しました。

看板の字は、亡くなった社長のお父様、元社長の文字を使っています。
こちらは、元社長が一括で書き残した文字ではなく、いろいろな場所に残った文字を、一文字一文字抜きだし、集めて組み合わせてできたものになります。
『どうしてもお父さんの字が使いたい!』という社長の想いを汲んでくださった社長のご友人が一つ一つ丁寧にご作業くださり、この看板の文字が出来上がりました。
この看板が、たくさん想いの詰まったものになったこと、心より感謝申し上げます。

看板の板も一枚板で、『本物』を使った、パワーのあるものとなっています。

創業400年、宮大工の時代から現在に息づく、ご先祖様からのご縁。
弊社が掲げる縁を繋ぐ、結ぶ『縁でぃんぐ』の心を表す看板を設置させていただいております。
元社長の文字を娘の社長と次期社長が一緒に設置をすることで、皆様へその想いを伝えていきたいと想いながら、設置致しました。

是非広小路近辺にいらっしゃる際には、こだわりの看板を見に来てください。

次期社長設置の瞬間
社長と位置合わせをして
しっかり設置しました